蒼い森 Caol Áit

Míċeál Hishikawa の研究ノート

2018年刊
▶︎『教養主義の残照』(開文社出版、2018年3月31日)

2017年刊
▶︎『ケルト文化事典』(東京堂出版、2017年5月26日)
▶︎『ボブ・ディランの詩学』BCCKS版紙本

2016年刊
▶︎『アイルランド語の「主の祈り」』(Kindle)
▶︎『義と利:『詩章』第74歌』(Kindle, iBooks, Kobo)
▶︎ 'Not Out on Interest: David in Canto 74' (iBooks, Kindle)
▶︎『パウンドとヘブライ詩』 (Kindle, iBooks, Kobo)
▶︎ 'Parallelism in Pound' (Kindle, iBooks)
▶︎『エリオットの伝統論とパウンド』(Kindle, iBooks, Kobo)
▶︎『詩における句の考察: アイルランド語の4強勢詩行』(Kindle, iBooks, Kobo)
▶︎ 『初めての電子出版: Kindle, Kobo, iBooks』(Kindle)
▶︎ ‘Seacht Sólás na Maighdine’: Sources and Versions (iBooks, Kindle)
▶︎『連鎖の感覚:マリア賛歌とチェーホフ』(Kindle, iBooks, Kobo)
▶︎『シャン・ノース 秘密の唱法:ジョー・ヒーニの場合』(Kindle, iBooks, Kobo)
▶︎『Óró オーロー:アイルランド語の知識ゼロでわかる伝統歌 'Óró 'Sé do Bheatha ‘Bhaile'』(Kindle, iBooks, Kobo)
▶︎『アイルランド語コピュラの記憶法』(Kindle)

既刊▶︎『真夜中の法廷』(彩流社、2014)

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Ennio Morricone and Clara Murtas, De sa terra a su xelu (From the Earth to the Sky) (Teatro del Sole, 2002)

DeSaTerraASuXelu

 巨匠モッリコーネがサルデーニャの歌手クララ・ムルタスのために作編曲し、指揮した珠玉の作品。
 2 曲はモッリコーネの作曲で、1 曲は伝統曲を彼が編曲したもの。

 全世界で 2000 枚の限定盤だが、さいわい 1887 番を入手できた。〔ほかに D'autore レーベル盤や MP3ダウンロードもある。〕 

 収録曲――

  1. Fuga dal presente
  2. Ave Maria
  3. In forma di Stella

 

 主な参加アーティスト――

  • Ennio Morricone (direction)
  • Clara Murtas (vo)
  • Nuova Roma Sinfonietta (orch)


     ベスト・トラックは 'Ave Maria'。
     本盤は全部で 16 分ほどの短いものながら、この 1 曲のためだけでも、入手する価値がある。というか、そもそも、この曲を編曲してもらえないかと、クララがマエストロに頼んだのが発端なのだ。

     サルデーニャの古い <アヴェ・マリア> の 'Deus ti salvet Maria' は彼女にとって特別な曲であるに違いない。モッリコーネの編曲は、伝統にとらわれない実に斬新なものであるにもかかわらず、ムルタスはまったく動じることなく歌い、この聖歌のいのちを現代に見事に息づかせる。類稀なるコラボレーション。



    De Sa Terra a Su Xelu
    Morricone
    D'autore
    2013-04-18




エドガー・アラン・ポー『ポー詩集―対訳』岩波文庫、1997)

Poe-Kashima

 岩波の対訳詩集の中でも異色。通常は研究者としての解説などが附くが、本書の解説は詩人として感じたことを書く。翻訳や註釈より、この詩人がポーをどう読んだか知りたい場合に好適。

 ただし、大急ぎで付加える必要があるが、原詩を精密に読み解きたい、そのためには韻律や文法について、現在までの研究の成果を反映したような詳細な註も読みたい、という場合には、たぶん本書は不適である。

 本書で得られるのは、詩人加島祥造訳のポーの詩と、各詩に対する自由な感想であって、それ以上でもそれ以下でもない。

 だから、よいほうに働けば、詩人ならではの感性に裏打ちされた読みが味わえるし、よくないほうに働けば、語学的にもポー学の水準からいっても、あまりかんばしくないものしか得られないことになる。

 ひとつ、非常によい箇所がある。ポーに対する受容史にかかわることが「はじめに」の中に書いてある。ここに、W. B. イェーツの言葉がある。彼はポーを「古今東西を通じての偉大な抒情詩人」と言っているのだ。これは控えめに言っても驚くべき話だ。そういう目で訳者はポーに向かい合っている。


ポー詩集―対訳 (岩波文庫―アメリカ詩人選)
エドガー・アラン・ポー
岩波書店
1997-01-17


「現代詩手帖」2018年8月号

GendaiShiTecho201808

[特集]海外からの風

ル・クレジオ「詩の魅力」は東京での講演(2018年4月15日)を収めた2回連載の第1回(中地義和・訳)。オルペウスとエウリュディケーの神話を物語るラテン詩人ウェルギウス『農耕詩』第四歌のヴィクトル・ユゴーによるフランス語訳。詩の魅力=魔力を例証するギリシア・ローマ文化における最良の例として。歌と詩との結びつきは人を魅惑する力を持ち、神に同意を求め、魂に恩恵をもたらすはずであるが、同時に危険をもはらむ。

マイケル・ロングリー「贈り物の箱」
茶室ではぼくらのサイズは完璧に規格はずれだ
でもそれは、たったひとつの茶碗の周りに座るまでのこと、
一期、一会、水のリボン
そして一瞬浮かぶ濡れた葉っぱの表意文字、お茶。

片岡義男「What's he got to say?」
ディランのNo Direction Home論だ。邦題がないので彼は仮に「帰路無道標」と。ディランの詩作の秘密にさらりと触れたあと、人に語ってその人をつき動かすなにごとかとは何かを語る。〈自分があるかないか〉この平凡な言い方から引き出せるのは言葉だ。〈なにか言うためには、言葉が必要だ。〉

片桐ユズル、アーサー・ビナード「詩が思想であったとき」
ディランの詩の歴史に興味ある人は多いと思うけれど一つの分水嶺が1980年12月8日(ジョン・レノンが殺された日)とは知らなかった。(片桐ユズルが詩を書くときは「詩と思われないように、詩を逃げて書く」話から)ディランが逃げて書き始めたのはその時からだとアーサー・ビナード。処刑される一歩手前で予言を止める。



峯澤典子「始源へのまなざしを宿した言葉とともに」
須賀敦子『主よ 一羽の鳩のために』を評して
〈一人でいるときに真に受け取れるもの。それは沈黙ではないだろうか。沈黙という祈りの時間は、詩を生み出す豊かな土壌なのだと、本書は凛とした佇まいで示している。〉と。私はその凛たる詩心を須賀の手書きの字にも感じるが、ともあれ、〈六十年前に書かれた諸篇は今読んでも、というより騒音の溢れるこの時代に読むからこそ新鮮に、清冽に響く〉にはまったく同意する。




Tomás Ó Gealbháin, Caoimhín Ó Fearghail, Seán Ó Fearghail, Lá ag Ól Uisce (2013)

OGealbhain-La

 アイルランドのピュアな伝統音楽がぎっしり詰まったアルバム。

 つまり、まさに「ピュア・ドロップ」だ。聞けば聞くほど良さが深く味わえる。流行の音作りとは一線を画し、伝統音楽としての正道まっしぐら。しかも、楽しい。うっとりするくらい美しく、躍動的。

 この三人はアイルランド南東部のウォーターフォード県の出身。アルバム・タイトル 'Lá ag Ól Uisce' は英語に直訳すると 'A Day Drinking Water'. 「水を飲んでいる日」つまり素面の日(という珍しい日)ということだろう。

 パイプスとフルートなどを担当するクィーヴィーンとフィドル担当のショーンの兄弟は同県のアン・ライン(An Rinn)出身。アン・ラインは英名 Ring というところで、同県の伝統音楽の中心地の一つ。もう一人はアコーディオンのトマース。

 彼らの出身地方はゲールタハトのナ・デーシェ(na Déise)といい、ニクラース・トービーンのような偉大な歌い手を輩出している。

 このアルバムはゲストが超豪華。歌が3曲入っているが、いずれも名人か名人級の歌い手たちだ。

 ジミー・オキャナワーィンはオリアダ杯獲得(2011)、ネル・ニフローニーンは本盤の後だが同杯獲得(2014)、キアラーン・オガルヴォーィンはバンド Danú での数々の名唱で、それぞれ知られる。

 伴奏で参加しているドーナル・クランシーやドノハ・ゴフも Danú のメンバーだった。

メンバー

  • Caoimhín Ó Fearghail (Uilleann Pipes, fl, g)
  • Seán Ó Fearghail (fiddle, concertina, bouzouki)
  • Tomás Ó Gealbháin (accordion)

 

ゲスト・アーティスト

  • Nell Ní Chróinín (vo)
  • Jimí Ó Ceannabháin (vo)
  • Ciarán Ó Gealbháin (vo)
  • Eimear Ní Fhathaigh (concertina)
  • Donal Clancy (b, g)
  • Donnchadh Gough (bodhrán)

 

トラックリスト

  1. The Rainy Day / The Sword in Hand / Toss the Feathers [reel]
  2. The Stone in the Field / Diplodocus / By Golly (Jim Neary's) [jig]
  3. The Glen Cottage Polka / Clare’s Dragoons / Baker’s Dozen [polka]
  4. Tá Dhá Ghabhairín Bhuí Agam [song: Nell Ní Chróinín]
  5. Port Seán Gabha / An Páistín Fionn [jig]
  6. Micho Russell’s / Ríl Liatroma / Girls Will You Take Him [reel]
  7. Quilty Shore / Cailleach na Tuirne [jig]
  8. Ríl an Spidéil / Queen of May / Gillespie’s [reel]
  9. Eochaill [song: Jimí Ó Ceannabháin]
  10. The Pipe on the Hob / Born for Sport / Cathaoir an Phíobaire [jig]
  11. Humours of Tuamgreany / The Mountain Groves [hornpipe]
  12. Tie the Bonnet / Ríl Dharach De Brún / The Reel of Bogie [reel]
  13. Ráiteachas Na Tairngreacht [slow air]
  14. Táim in Arréars / Drops of Spring Water [slip jig]
  15. Máirtín an Bháille [song: Ciarán Ó Gealbháin]
  16. The Fly in the Porter / Paddy Fahy’s / Old John’s Jig [jig]
  17. The Morning Dew / Garrett Barry’s Reel / Michelle O’Sullivan’s [reel]


トラック1のリール 'The Rainy Day / The Sword in Hand / Toss the Feathers' (SoundCloud)
 
トラック2のジグ 'The Stone in the Field / Diplodocus / By Golly (Jim Neary's)'



クィーヴィーンとショーンの兄弟だけのリールの演奏


 ぼくは本盤をタムボリンから入手した。アイルランドなら Claddagh Records や Custy's Music などからも買える。

 もしも、
アイルランド伝統音楽に興味ある中学生か高校生に〈なにかいいCDないですか?〉と訊かれたら、ぼくなら〈手に入るうちにこのCDを!〉と即答する。今ピンとこなくても、10年後、20年後にはきっとわかる。10年に1枚級のアルバム。

エミリー・ディキンソン『対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉』岩波文庫、1998)

Dickinson-Kamei

 岩波の対訳詩集としては標準的な訳と註です。

 春霞ととられがちの 'haze' をディキンスンは夏の終りの現象として詠うと捉えるのは卓見です。これは 'Besides the Autumn poets sing' (131) の詩の4行目に出てきます。第1連全体を引用します。

Besides the Autumn poets sing
A few prosaic days
A little this side of the snow
And that side of the haze--

 これは亀井訳では次のようになります。

詩人たちのうたう秋のほかに
いささかの散文的な日々がある
雪のちょっぴりこちら側
靄(もや)のあちら側の日々――

 この4行目に附けた註は秀逸です。

靄(haze)は春に生じることの多いものであろうが、ディキンソンはこの一つ前の詩〔130〕でも夏の終わりの現象としてうたっている。その「あちら側」とは秋の日々。

 'haze' を春の現象と見てしまうのは英詩しか読んでいない人に起こりがちの誤りで、米国では事情が異なります。

 この註じたいはよいのですが、ここの構文の取り方には賛成できません。1行目の 'sing' の目的語をその前の 'the Autumn' と取っているわけですが、そうすると、必然的に2行目の前に 'There are' などを補わなくてはなりません。20世紀以降の現代詩ならそれでもよいでしょうが、19世紀のディキンスンでその構文はふつうにあり得るでしょうか。現行のテクストに添うかぎり、'sing' の目的語は次行の 'A few prosaic days' 以下と取るべきです。

 エメラルドの空の詩(219)も収録しています。




Archie Fisher, A Silent Song (Red House Records, 2015)

Fisher-SilentSong

 スコットランドの至宝、アーチー・フィシャーの2015年盤。

「待望の」という形容詞がアーチーほどふさわしいシンガーはまたとない。歌もギターも、ともにフォークシンガーのお手本。深みがあり、音楽性に富み、どの曲を聴いてもいぶし銀のような魅力にあふれている。

 これまでも駄曲は一切なかったし、それは本アルバムでも同様。今回は全12曲を米国で録音している。声もギターも、すばらしい音質で録れている。実は今までの録音だとギターの低音弦はなかなか満足ゆくものでなかったのだが、本盤はきれいな音質だ。

 どの曲もいいけれど、あえてベスト・トラックを挙げればトラック8 'A River like You' だろうか。スコットランドの Ian Davison 作の歌だ。ハーモニー・ヴォーカルをつける Linda Richards の声もすばらしい。作曲者についてアーチーはこんなコメントを書いている。

A tender moment from one of Scotland's most consistent and talented songsmiths.

スコットランドの最も堅実で才能ある歌作りの一人」って、それはアーチー、あなたのことではないかと言いたくなるが、その彼がここまで褒めるだけのことはある。

 本盤には他人の曲や伝統歌以外にアーチー作の歌が5曲収められている。

トラック8 'A River like You' を Celtic Roots Festival で唄っている映像



Silent Song
Archie Fisher
Red House
2015-09-18


松下幸之助『道をひらく』PHP研究所、1968)


Matsushita-Path


自分に全く関係ないところで、自分に全く関係ないと思う事が起こって、だから自分には全く責任がないと思うことでも、よくよく考えてみれば、はたして自分に全く責任がないと自信をもっていうことができるであろうか。

キリストは、その時代の見も知らぬ人びとの責任も、すべてわが身に負い、そのうえに、後の世につづく数知れぬ人びとの責任をも、その気高いまでの魂で、一身に引きうけた。

 

せめて、自分に責任あると思うことまでも、他人のせいにすることだけはやめにしたい。


--松下幸之助『道をひらく』(PHP研究所、1968)より

 

(ひとこと)
 小宮一慶氏(経営コンサルタント)が寝る前に必ず松下幸之助『道をひらく』を読むことを長年続けているとTV番組で語った。繰返し読んでもなお勉強になるとのことを聞いたので、それではと読み始めた。
 確かに何度読んでも参考になる。
 上のことばにキリストが出てくるが、松下幸之助仏教徒辯天宗)である。それでも、これほど深くキリストを理解していることに感銘を受ける。


道をひらく
松下 幸之助
PHP研究所
1968-05-01


道をひらく
松下 幸之助
PHP研究所
2010-06-04


神戸大学英米文学会『教養主義の残照 Kobe Miscellany終刊記念論集(開文社出版、2018)

KyoyoshugiZansho

「神戸大学英米文学会は昭和29年に英語教員によって結成され、年に数回の研究発表会を開催、昭和34年には Kobe Miscellany という同人誌第一号も発行され、60年以上に亘る活動を続けてきた。しかし大学の教養部解体、グローバル化の進展、コミュニケーション重視等の時代趨勢には逆らえず2018年3月をもって解散することとなった。その掉尾を飾るに相応しい最終号。」(出版社紹介文)

「はしがき」で会長の野谷啓二さんが次のように述べている。

[教養部解体という]大変化を中にいた者の視点から一言で表現するならば「自由」の喪失となるであろう。

 ところで、ヨーロッパ中世に由来する大学は、「自由」を最大の価値にしてきた組織体であった。(中略) 大学は世俗法ではなく教会法の中に組み込まれていたため、キリスト教文化の影響をそれほど受けていない日本国においてすら、警察組織(国家の権力)といえども許可なくキャンパスに踏み込めないアジールだという認識があったのである。(中略)

 サイエンスのみが重視され、人間を真に人間らしくするヒュマニティーズを軽んじる大学は、本来の大学とは言えず、別物と理解するしかない。ましてや今や人工知能、AIの時代である。私自身、バベル以後の多言語世界において唯一のロゴスの声を聞くことを目的としてきたのだが、新時代で人々が耳を傾けるのが、人間の自由を奪う人工知能の声であるとするならば、恐ろしいディストピアの訪れと言わなければならない。ただ、そうであっても、T・S・エリオットが述べている通り、世に lost cause というものはないはずである。cause はそれを信じ、生きるものが残る限り存続するのである。

私はボブ・ディラン論を執筆したので、紹介する。

歌われる詩としての ‘Love Minus Zero / No Limit’

‘Love Minus Zero / No Limit’を、歌われる詩、耳で聞く詩と捉え、ボブ・ディランの詩学の一端を明らかにすることを目標とする。タイトルに続き、第一連から第四連まで分析し、引喩(allusion)にも留意しつつ論じる。

タイトル
「一種の分数式」であること
第一連
 英国バラッドの伝統 、 silence / violenc の押韻、 『リア王』のエコー、パラドクス
第二連
 預言者ダニエルの書の一節、 意味の可能性を広げる前置詞の使い方
第三連
 ‘The cloak and dagger’をまとう輩、田舎医者」とカフカ
第四連
 ヘンリー・ジェームズの『鳩の翼』
ポーとディラン
 1965年以降のディランへのポーの文学的影響

収載論文

田中雅男:ディケンズとシェイクスピア三百年祭
植田和文:不在の詩人の肖像
井上 健:翻訳家橋本福夫の戦中と戦後
石塚裕子:一九八〇年代の松本隆の詩
菱川英一:歌われる詩としての 'Love Minus Zero / No Limit'
米本光一:英雄としての文豪の晩年
遠田 勝:近代日本における「民話」の誕生
野谷啓二:T・S・エリオットと幽霊
西村秀夫:チョーサーの誓言に関する覚書
山沢考至・編訳:『プーブリウス・シュルスの警句集』(抄)
水口志乃扶:ミセラニとは何だったのか


教養主義の残照 Kobe Miscellany終刊記念論集 [ 神戸大学英米文学会 ]
教養主義の残照 Kobe Miscellany終刊記念論集 [ 神戸大学英米文学会 ]

honto (ジュンク堂書店)
紀伊國屋書店

Ann Cleeves, Thin Air  (2015)

Cleeves-Air

 「入江」を表す 'voe' という英語はめずらしい。

 あなたがシェトランド諸島やオークニー諸島を舞台にした小説でも読んでいないかぎり、まず出くわさないだろう

 たとえば、Ann Cleeves のシェトランド・シリーズ第6作(未邦訳) Thin Air を読んでると次の箇所にぶつかる。

she'd drowned in the voe, the inlet that cut into the land from the sea. (Chapter 10)

 これ、どうも英語のような感じがしない。調べると、やはり古(期)ノルド語由来だった。

 著者は普通の英語話者には分からないだろうと予想して、ちゃんと親切に言替えている。

 ところで、上の引用の she というのは Peerie Lizzie という伝説の少女のことだ。この島の入江で溺れたのだが、幽霊となって出ると地元では言われている。

 これは一例に過ぎないけれど、この小説には至るところに、これらスコットランドの離島特有のことばや文化・風習が出てくる。

 そういうエキゾティックなところがあるにもかかわらず、ものすごく読みやすい。



Thin Air (Shetland)
Ann Cleeves
Pan Books
2015-07-02






Thin Air: A Shetland Mystery
Ann Cleeves
Minotaur Books
2015-05-05




アン・クリーヴス『水の葬送』(2015)

Cleeves-Water


『水の葬送』を読んでいると次のような箇所がある。

バイキングの火祭りのとき、集会場のひとつで彼女を見かけたんだ。」(83頁)

 この「バイキングの火祭り」に「アップ・ヘリー・アー」とルビ。どう見ても英語じゃない。いったい何語だろう。

 調べると古(期)ノルド語(Old Norse)らしい。up は何かが終わりの状態にあること、hellyは祝日・祭日、aaはすべての意だと(ウィキペディアの 'Up Helly Aa')。つまり、まとめると、「すべての祭日のおわり」。「クリスマスの季節」(12月25日~1月5日)のおわりを指す。

 シェトランド本島の州都ラーウィクで催されるUp Helly Aaの動画がある。




水の葬送 (創元推理文庫)
アン・クリーヴス
東京創元社
2015-07-19


水の葬送 ペレス警部シリーズ (創元推理文庫)
アン・クリーヴス
東京創元社
2015-07-21