蒼い森 Caol Áit

Vintermåne, Vintermåne (2L 2L3, 2002)

Vinetermane


 ノルウェーの三人組、ヴィンターモーネ の第1作。シンセサイザーなどを担当するメンバーのみが男性で、あとは女性。

 このCDアルバムはいろんな意味で満足感がひろがる。まず、ジャケットを手にとると、感触がなんとも言えずいい。「冬の月」を象徴するのだろう円と三角。円のほうはガラスのようだ。三角のほうは中に煙を封じこめたような不思議な物体で、そこだけ材質の違う光沢を放っている。そういえば、Vintermane という文字も、淡い黄色の光沢を放つ。

 プレーヤーに載せてかけると、ノルウェーらしい北欧の透明感と怜悧な感覚とが部屋一杯にひろがる空気の感覚が変わるといってもいい。そのうちに、北欧独特の存在感のある女性ヴォーカル(アン)が始まり、一本の線が通る。この線はしっかりしており、容易には切れないような粘りがある。

 そのうちにソプラノサックス(フレイディス)が始まる。このサックスはまたよく歌う。ヴォーカルに負けないくらい、よく歌う。バックで控えめに聞こえていたプロフェットシンセサイザー(トルユス)はピアノの音色に変わるや、がぜん存在感を増す。かつてのジャズの名盤、アート・ランディとヤン・ガルバレクのコラボレーションをちょっと想起させる。

 ジャズと言えば、このアルバムはジャズ喫茶でかけても、おそらくまったく違和感がない。ドラムズなどのゲストを含めて楽器奏者の感覚は完全にジャズのそれだ。

 聴いていると、だんだんあったかくなってくる。最初の印象が怜悧だったのが嘘のようで、心の熱さが演奏に反映していることがリスナーにはよく分かってくる。この無段階の変化は非常にうれしい。冬から春にかかる頃に聞くと、感覚的にはぴったりだ。

 

 参加アーティスト: 
Anne Gravir Klykken (vo)
Frøydis Grorud (sax)

Torjus Vierli (synth) 他


Vintermane
Vintermane
2l
2008-06-12



 

宮下奈都「新しい星」(「エソラ」vol.2所収、2005〔単行本未収録〕)

Esora2

 「静かな雨」でデビューした宮下奈都のおそらく第3作。書き下ろしの読み切り作品を収める講談社の物語雑誌、「エソラ」第2号(2005年7月)に掲載された。

 不思議な味わいの話だ。何かから逃げてきたように見える女性が夜明け前の無人駅にいる。どういう経緯でそこにいるのか。

 駅の待合室で貼り紙を見つける。「集会所の管理人 急募」と書いてある。「平凡な方歓迎」と書いてあるところに目を留め、〈平凡と歓迎がうまく結びつかな〉いと女性は思う。仕事を探していたわけではないが、〈何かささいな案配〉のせいでその貼り紙に気を惹かれる。

 貼り紙には最後に「自信のない方優遇」とある。それを見て女性は〈だいぶ優遇されることになるだろうなあ〉と思った。

 午前九時になり、女性は応募したい旨を電話で告げる。採用試験は山の頂上近くでおこなわれ、歩いてゆくというと車で迎えに来てくれた。

 行ってみると、過疎の村で生きていこうと決意した年寄りたちの<新しい星>を求めているのだという。その意味は、自分たちの<配置を換えてくれる人がほしい>ということだった。

 老人たちが安心して生き、安心して死んでいくために何が必要かをよく話し合い、出た結論が星だった。<星、ですか>と訊くと、こう答が返ってきた。

そうです。医者だとか介護スタッフだとかケーブル網だとか、そういうものではなかった。いえ、インフラが必要なのはいうまでもないのですが、それ以上にここに足りないもの、どうしても必要なものは何かと考えました。人間関係は星座のようなものです。(略)新しい星が入れば配置が変わって、星座の枠組みが変わることだってありえるんじゃないかと、私たちは考えたのです。この年になって、昔からの仲間ともう一度新しい関係を結びなおせるかもしれないなんて、考えただけでなんだか胸が弾むんですよ

と。

 この風変わりな求人と謎の女性をめぐる物語は、人生についての寓話と読むことも可能だろうが、宮下奈都のスタイルは現実との接点をしっかり保ったまま、生きること死ぬことへの思索を深く静かに伝えてくれる。私たちは今いる場でも、新しい星となることはできるのではないかとの思いに駆られる。

 本作品に出てくる一人称代名詞の「うら」は福井や石川などの北陸方言らしい。宮下奈都は福井県の作家である。



 

Celtic Twilight 2 (Hearts of Space HS11106-2, 1995)

CelticTwilight2

 アイルランド系米国人のジョーニー・マッデン (Joanie Madden) をはじめ、さまざまな地域のケルト系アーティストを集めたアンソロジー。

 このジョーニーの吹く〈ローシーン・ドゥヴ Róisín Dubh〉(黒いバラ、The Black Rose)はすばらしい。もちろん、アイルランドの非公式国歌とも言われるほどの重要な歌なのだが、こうしてスロー・エアとして卓抜な演奏を聞かされると、エアとしてもきわめて美しいことをあらためて実感させられる。

 その他、既発表曲ではあるが、コーマック・ブラナハ (Cormac Breatnach) によるショーン・オ・リアダの名曲〈ムロー・ナ・ヘーラン Mná na hÉireann〉 (アイルランドの女たち、'Women of Ireland')の演奏も秀逸。なお、この演奏はグループ Deiseal によるもので、もとは The Long, Long Note (Starc Records SCD 193) に収められていたが、発売元が消滅したため、廃盤。現在は、このようなコンピレーションに入っている形でしか聞くことができない

 約半分にあたる6曲は未発表曲が収められている。うち4曲(ジョーニーの〈黒いバラ〉をふくむ)はこのコンピレーションのために特に録音されたもので、そのような点が凡百の寄せ集めアンソロジーとは違う。

 Hearts of Space レーベルが中堅どころの佳曲のみを集めて出しているもので、良心的で息の長いシリーズと言える。これが第二集だが、現在、第六集まで出ている。なお、この会社のモットーは 'slow music for fast times' だが、あまりにも時代に合いすぎている。昔からこのモットーだったのだろうか。

 参加アーティスト―― Joanie Madden (whistle, low whistles), Cormac Breatnach (Overton F & A whistles, Susato A whistle, percussive whistle, voices) 他。 

Deiseal - 'Women of Ireland' 



Celtic Twilight, Vol. 2
Various Artists
Hearts of Space
1995-08-29


Celtic Twilight 2
Hearts of Space Records
1995-08-11


宮下奈都「日をつなぐ」(『コイノカオリ』所収、2004)

KoiNoKaori

 宮下奈都のデビュー作「静かな雨」につづく第2作。恋の匂いをテーマにした書下ろしの作品6点のアンソロジー『コイノカオリ』(2004年12月)に収録された。

 恋の匂いがテーマだと思って読み始めると、最初の文が「私は赤ん坊を抱いている。」だ。ああ、恋の相手とは結ばれたんだなと思う。

 その赤ん坊に頬をよせると「おだやかに寄せる波のような寝息。あまやかな匂い。」これは赤ん坊の匂いだ。

 台所の鍋から豆を煮る匂いが立ち昇る。「たゆたゆとやわらかく、しばらく漂っていてふっと消えてしまいそうな匂い。」たゆたゆと、はいい。これは赤ん坊の匂いだと語り手は気づく。「この子は豆のスープの匂いがしている。

 つづくのは豆好きにはたまらない文章。

ひよこ。レンズ。金時。小。大。手亡。ムング。大福。黒目。虎。うずら。豆を煮るのはからだのためでもあり、家計のためにもなり、何より味わいのためになる

 まるで豆が生活のリズムになっているようだ。語り手はひとりで豆のスープを飲む。すると、こう感じるのだ。「豆のスープからは赤ん坊の匂いがしている。」

 「修ちゃんと初めて会ったのは十四歳の秋だった。」とあり、その後おなじ高校に行く。卒業すると修ちゃんは京都の大学に進み、語り手は地元で就職する。京都へ遊びに行き、彼の下宿にいたとき、「アフリカとブラジルって、ずっと昔、ひとつづきの大陸だったんだって」と言われ、帰りの特急に間に合うように焦っているときに地球の反対側の話なんか聞きたくないと思う。

 ところが修ちゃんは「真名と俺は、アフリカとブラジル」とだけ言って出て行ってしまう。

 そんな二人が結婚してからは、夫は仕事が忙しく、妻は授乳で睡眠不足。すれ違いも起きる。妻の内側から起きる名状しがたいマグマの高まりは、これはもしかすると男性の読者に読ませたいのかもしれないと思えるくらい痛烈。

 母となっても女性として、何よりひとりの人間として生きて行きたいという語り手の思いが、静謐な文体で淡々としかし芯が太く綴られてゆき、まるでこのひとがすぐそばにいるように感じられる小説だ。


コイノカオリ (角川文庫)
角田 光代
角川書店
2008-02-23

 

AMD_BBC_2015

 BBCのニューズAMD (age-related macular degeneration)「加齢性黄斑変性症」(成人の失明原因の第1位、英国で60万人以上の患者、視野の中心部が見えにくくなる)の新治療法の話を見た(2015年9月29日)。

 ヒトの胚性幹細胞(embryonic stem cells)の移植による治療の試みで、結果がわかるのがクリスマス以降になるという。

 成功すれば画期的な方法。日本眼科学会の「目の病気 加齢黄斑変性」に病気の詳しい情報があるが、この新治療法の話題は出ていない。

 macular degeneration 「黄斑変性」は一部の英和辞書に出ている。頭に age-related を加えた AMD については、出ているのが『180万語対訳大辞典』(日外アソシエーツ)くらい。
[この辞典は単独では入手困難。2019年時点では、age-related macular degeneration は『200万語専門用語 英和・和英大辞典』(The CJK Dictionary Institute, 2010) には出ている。この辞書は単独でも入手可能だが、電子辞書にも収められていることがある。例を挙げると、カシオの XD-G20000, XD-Z20000, XD-SR20000  など
















Loretto Reid & Brian Taheny, Celtic Mettle (Iona Recordings IRCD 049, 1997)

Reid_Taheny_CelticMettle

 スライゴー出身のマルチ・インストルメンタリストの俊英デュオ。ロレット・リード と夫のブライアン・タヘニーはカナダ在住。

 このアルバムはカナダの Reta Ceol が制作し、スコットランドの Iona Recordings からリリースされたもの。Iona はその後、Iona Records となり、さらに、グラスゴーの Lismor Recordings の傘下に入るが、その後 The Scottish & Irish Traditional Celtic Music Store にカタログは移された。

 伝統音楽の雰囲気を維持しつつ、ロレットの自作もすばらしい。時には現代的な編曲もある。ロレットはフルートもホィッスルもコンサーティーナもボタン・アコーディオンもみないい。ブライアンのソロのトラックもある。トラック8のカロラン曲集もいい。

 これほどの作曲の才能があり、多くの楽器をあやつれて、編曲も切れ味鋭ければ、少しはとんがりそうなものだが、そうではないところが興味深い。ライナーを見ても分かるが、非常に謙虚に、全曲で主なる神をほめたたえる姿勢がある。敬虔にして音楽味鮮烈なめずらしいアルバム。

 これが二枚目だ。忘れられるには惜しいアルバムだ。現在は彼らのウェブサイト から入手可能(送金方法は 'cheque or money order' とありクレジットカードは使えない)。[2019年現在、ウェブサイトは存在するが、このアルバムの注文はできないようだ。アマゾン等では買える]

 

 参加アーティスト――

  • Loretto Reid (flute, whistle, concertina, button accordion)
  • Brian Taheny (g, bouzouki, mandolin, tenor banjo) 他

 Taheny & Reid のアルバム'Celtic Christmas' から 'Auld Lang Syne'. 編曲の妙がある

 

Celtic Mettle
Loretto Reid & Brian Taheny
Traditions Alive Llc
2011-09-20

 

宮下奈都「静かな雨」(「文學界」2004年6月号所収)

Bungakukai_200406

 宮下奈都のデビュー作。第98回文學界新人賞佳作を受賞。執筆当時3人目の子を妊娠中だったという。

  「文學界」新人賞の選者四名の評をいま読むと的外れとはいわないまでもピンぼけないし焦点距離の調節不足の感が拭えない。特に、奥泉光の「透明感のある文章」で十把一絡げに悪罵する選評にいま同意する人はどれくらいいるだろうか。浅田彰に至っては「よしもとばなな江國香織を足して二で割ったという感じのメルヘン」と断じており、引合いに出す作家名にしても、メルヘンのジャンル名にしても、なぜ文芸批評にこんなものが紛れ込むのか理解に苦しむ。

 唯一、辻原登だけがまともに読んでおり、実は著者は彼に読んでもらうことを期待していた。語り手について「僕には生まれつき足に麻痺があった。ずっと松葉杖を使っている」の〈ずっと〉に着目するところ、「男たちが戻ってくるのが怖い。戻ってきても、こよみさんにはわからないのだ。(略)顔を覚えられないこよみさんには警戒のしようがない」に危機を感じるところ、これらをふまえた純愛小説と読取るところはさすがに著者が期待した波長の合い方だ。

 この小説はたいやきをこの上なくうまく焼く女性と語り手、およびその周辺の人物を丁寧に丁寧に描く作品で、その語りのスピードといい、振幅といい、人間的なぬくもりと愛情にあふれていて、読み終わった人は心身の健康が回復し平静になり満ち足りた境地になるだろう。そうは読まない人もいるかもしれないが、波長の合う人にはこれほどの文学的至福はまたとない

[本作品は、2016年に単行本として刊行されている。その後、2019年に文春文庫版、Kindle版が出た]


静かな雨
宮下 奈都
文藝春秋
2016-12-12

 
 
静かな雨 (文春文庫)
宮下 奈都
文藝春秋
2019-06-06






静かな雨 (文春文庫)
宮下 奈都
文藝春秋
2019-06-06



Moon_20150928


2015年9月28日、満月とスーパームーンとが重なる日だった。 

いつも iPhone で月の撮影を試みるけれど、ボーっとした写真しか撮れなかった。
 
そこで今回、違う方法を試したところ、月の表面が写った。非常に簡単なので、お試しあれ。
 
使ったのはコンパクト・デジカメ(SONY WX-350)。光学20倍ズームが可能。シーン設定に〈夜景・手振れ〉というのがある。三脚があれば〈夜景・三脚〉が選べる。
 
で、そのシーン設定で20倍ズームし、月が画面に入るようにしてシャッターを切る。カメラが勝手に複数枚撮影し処理してできたのが、この写真。
 
これくらいの性能のデジカメは珍しくない。小さくて軽いので携帯には便利。使いやすい。
Sony_DSC-WX350_B

[後継機になるのか、新しい機種 WX500 というのも出ているようだ。この WX350 も、まだ手に入る]



 

Séamus Ennis, The Wandering Minstrel (Topic, 1974; Green Linnet GLCD 3078, 1993)

Ennis-WanderingMinsterl

 ダブリン県出身の シェーマス・エニス (1919-82)。

 20世紀のアイルランド伝統音楽で最重要人物の一人。イラン・パイパー、ティン・ホィッスル奏者、歌い手、ストーリー・テラー、採譜者、録音者、公演家、放送人として。彼のアイルランド語は コナマラ の Ros Muc (Rossmuck) 仕込みである。

 全篇シェーマスのパイプス・ソロ。音の出だしからシェーマス独特の雰囲気がただよう。今から40年前のアルバムだが、そんなことは関係ない。

 ライナーをシェーマス自身が書いているが、シェーマスの書いてるものは何でも読む価値がある。米 Green Linnet 盤(写真)が入手困難になったのは残念だが、愛 Ossian 盤は入手可能。

 トラック7 'The New Demesne' は一聴して強い印象を残すリールだが、パイプスの技巧面でも難曲という。シェーマスは父の演奏から覚えたらしい。リールの中でも「大曲」 (big reels) の一つとシェーマスは書くが、リールにもそういう名称があるとは知らなかった。歌ではよく「大曲」 (big songs) という言いかたをする。

 トラック10 'Molly O'Malone' は北西コナマラのアイルランド語によるフォーク・バラッドだという。この曲のスロー・エアとしての演奏はシェーマスらしい分厚さがある。

 トラック11 'Kiss the Maid behind the Barrel' も big reels の一つで、この難曲におけるシェーマスの卓越した技術はすばらしい。このアルバムのハイライトだろう。

 このアルバムが1974年に録音された Livingstone Studios (Barnet, London) はジョン・レンボーンの The Lady and the Unicorn が録音された場所でもある。

 参加アーティスト―― Séamus Ennis (uilleann pipes)


The Wandering Minstrel
Seamus Ennis
Green Linnet
1993-10-05




香月日輪『妖怪アパートの幽雅な日常2』講談社文庫、2009)

Kozuki-YokaiApartmt2

 語り手の稲葉夕士は高校1年生を終え、寮から妖怪アパート、寿荘に戻ることになる。

 本作の最初の5分の1くらいは前作をなぞるような感じで、ややだるい。「妖怪アパート」シリーズを初めて読む人はまた違う感想をいだくかもしれないけれど。シリーズ物はここのところの工夫がむずかしい。

 第2章「プチ・ヒエロゾイコン」になると、アパートの住人の古本屋が持ち込んだ「魔道書」が前面に出てきて、話は少し動き始める。タロー(タロット)の画集本(22枚の大アルカナ)の最後(22番目)の「0」の「愚者(フール)」が夜中に出てきて、夕士を「ご主人様」と呼ぶ。本の封印が解けて、夕士が本の中の22の妖魔どもの主人となったのだ。

 ある事件が起こり、夕士がピンチにおちいったときに、このフールが出てきて、はからずも妖魔どもの助けを借りて窮地を脱する。ところが、夕士にはまだ妖魔を使いこなすだけの能力がなく、消耗してしまう。そこで、アパートの住人の霊能力者、久賀秋音に魔道士としての基礎的な修行をつけてもらうことになる。

 という次第で、本書の春休みの間はいわば訓練期間にあたる。その意味ではやや平板な印象を受けるのはやむを得ない。ただ、魔書使い(本を使う魔道士)にからむところは興味深い。陰陽師が式鬼(しき)を使うように本を使うのだ。

 シリーズの第1作もそうだったが、やたらと旨そうな食い物が次から次へと出てくる。その噂をいつも聞かされていた夕士の親友、長谷泉貴がついにアパートにやってくるところも見どころだ。