蒼い森 Caol Áit

宮下奈都「静かな雨」(「文學界」2004年6月号所収)

Bungakukai_200406

 宮下奈都のデビュー作。第98回文學界新人賞佳作を受賞。執筆当時3人目の子を妊娠中だったという。

  「文學界」新人賞の選者四名の評をいま読むと的外れとはいわないまでもピンぼけないし焦点距離の調節不足の感が拭えない。特に、奥泉光の「透明感のある文章」で十把一絡げに悪罵する選評にいま同意する人はどれくらいいるだろうか。浅田彰に至っては「よしもとばなな江國香織を足して二で割ったという感じのメルヘン」と断じており、引合いに出す作家名にしても、メルヘンのジャンル名にしても、なぜ文芸批評にこんなものが紛れ込むのか理解に苦しむ。

 唯一、辻原登だけがまともに読んでおり、実は著者は彼に読んでもらうことを期待していた。語り手について「僕には生まれつき足に麻痺があった。ずっと松葉杖を使っている」の〈ずっと〉に着目するところ、「男たちが戻ってくるのが怖い。戻ってきても、こよみさんにはわからないのだ。(略)顔を覚えられないこよみさんには警戒のしようがない」に危機を感じるところ、これらをふまえた純愛小説と読取るところはさすがに著者が期待した波長の合い方だ。

 この小説はたいやきをこの上なくうまく焼く女性と語り手、およびその周辺の人物を丁寧に丁寧に描く作品で、その語りのスピードといい、振幅といい、人間的なぬくもりと愛情にあふれていて、読み終わった人は心身の健康が回復し平静になり満ち足りた境地になるだろう。そうは読まない人もいるかもしれないが、波長の合う人にはこれほどの文学的至福はまたとない

[本作品は、2016年に単行本として刊行されている。その後、2019年に文春文庫版、Kindle版が出た]


静かな雨
宮下 奈都
文藝春秋
2016-12-12

 
 
静かな雨 (文春文庫)
宮下 奈都
文藝春秋
2019-06-06






静かな雨 (文春文庫)
宮下 奈都
文藝春秋
2019-06-06



Moon_20150928


2015年9月28日、満月とスーパームーンとが重なる日だった。 

いつも iPhone で月の撮影を試みるけれど、ボーっとした写真しか撮れなかった。
 
そこで今回、違う方法を試したところ、月の表面が写った。非常に簡単なので、お試しあれ。
 
使ったのはコンパクト・デジカメ(SONY WX-350)。光学20倍ズームが可能。シーン設定に〈夜景・手振れ〉というのがある。三脚があれば〈夜景・三脚〉が選べる。
 
で、そのシーン設定で20倍ズームし、月が画面に入るようにしてシャッターを切る。カメラが勝手に複数枚撮影し処理してできたのが、この写真。
 
これくらいの性能のデジカメは珍しくない。小さくて軽いので携帯には便利。使いやすい。
Sony_DSC-WX350_B

[後継機になるのか、新しい機種 WX500 というのも出ているようだ。この WX350 も、まだ手に入る]



 

Séamus Ennis, The Wandering Minstrel (Topic, 1974; Green Linnet GLCD 3078, 1993)

Ennis-WanderingMinsterl

 ダブリン県出身の シェーマス・エニス (1919-82)。

 20世紀のアイルランド伝統音楽で最重要人物の一人。イラン・パイパー、ティン・ホィッスル奏者、歌い手、ストーリー・テラー、採譜者、録音者、公演家、放送人として。彼のアイルランド語は コナマラ の Ros Muc (Rossmuck) 仕込みである。

 全篇シェーマスのパイプス・ソロ。音の出だしからシェーマス独特の雰囲気がただよう。今から40年前のアルバムだが、そんなことは関係ない。

 ライナーをシェーマス自身が書いているが、シェーマスの書いてるものは何でも読む価値がある。米 Green Linnet 盤(写真)が入手困難になったのは残念だが、愛 Ossian 盤は入手可能。

 トラック7 'The New Demesne' は一聴して強い印象を残すリールだが、パイプスの技巧面でも難曲という。シェーマスは父の演奏から覚えたらしい。リールの中でも「大曲」 (big reels) の一つとシェーマスは書くが、リールにもそういう名称があるとは知らなかった。歌ではよく「大曲」 (big songs) という言いかたをする。

 トラック10 'Molly O'Malone' は北西コナマラのアイルランド語によるフォーク・バラッドだという。この曲のスロー・エアとしての演奏はシェーマスらしい分厚さがある。

 トラック11 'Kiss the Maid behind the Barrel' も big reels の一つで、この難曲におけるシェーマスの卓越した技術はすばらしい。このアルバムのハイライトだろう。

 このアルバムが1974年に録音された Livingstone Studios (Barnet, London) はジョン・レンボーンの The Lady and the Unicorn が録音された場所でもある。

 参加アーティスト―― Séamus Ennis (uilleann pipes)


The Wandering Minstrel
Seamus Ennis
Green Linnet
1993-10-05




香月日輪『妖怪アパートの幽雅な日常2』講談社文庫、2009)

Kozuki-YokaiApartmt2

 語り手の稲葉夕士は高校1年生を終え、寮から妖怪アパート、寿荘に戻ることになる。

 本作の最初の5分の1くらいは前作をなぞるような感じで、ややだるい。「妖怪アパート」シリーズを初めて読む人はまた違う感想をいだくかもしれないけれど。シリーズ物はここのところの工夫がむずかしい。

 第2章「プチ・ヒエロゾイコン」になると、アパートの住人の古本屋が持ち込んだ「魔道書」が前面に出てきて、話は少し動き始める。タロー(タロット)の画集本(22枚の大アルカナ)の最後(22番目)の「0」の「愚者(フール)」が夜中に出てきて、夕士を「ご主人様」と呼ぶ。本の封印が解けて、夕士が本の中の22の妖魔どもの主人となったのだ。

 ある事件が起こり、夕士がピンチにおちいったときに、このフールが出てきて、はからずも妖魔どもの助けを借りて窮地を脱する。ところが、夕士にはまだ妖魔を使いこなすだけの能力がなく、消耗してしまう。そこで、アパートの住人の霊能力者、久賀秋音に魔道士としての基礎的な修行をつけてもらうことになる。

 という次第で、本書の春休みの間はいわば訓練期間にあたる。その意味ではやや平板な印象を受けるのはやむを得ない。ただ、魔書使い(本を使う魔道士)にからむところは興味深い。陰陽師が式鬼(しき)を使うように本を使うのだ。

 シリーズの第1作もそうだったが、やたらと旨そうな食い物が次から次へと出てくる。その噂をいつも聞かされていた夕士の親友、長谷泉貴がついにアパートにやってくるところも見どころだ。





 

Doimnic Mac Giolla Bhríde, Saol na Suailce: Sean-nós as Tír Chonaill (DMGB 001, 2004)

MacGiollaBhride-SaolNaSuailce

 ドネゴール県デリベグ出身の ドミニク(ドゥィムリク)・マク・ギラ・ヴリージェ。ソロ第1作。アルバム・タイトルは「楽しい生活――ドネゴールのシャン・ノース歌唱」の意。

 たましいをゆさぶられるアルバム。後世にまで語りつがれるだろうアルバム。

 目を閉じて聴いていると、ドネゴールの風景が、とりわけ荒涼たる海や山や空の風景が心に浮かぶ。貧しいことが逆説的に強さになるような、そんな胸をしめつけられるような感動を覚える。

 粗削りの面もあるが、この勇者、ドネゴールの若獅子の実力は隠しようもない。恐らく各誌で絶賛されるだろうが、だれが何を言おうが関係ない。

 一番ショックを受けているのはアイルランドの若手のアーティストたちだろう。自分たちの原点を掘り起こされたとの思いで奮い立ったのではないかと想像する。これほど強烈なメッセージがアイルランドから発信されるのを聞くのはいったい何年ぶりのことだろうか。

 本アルバムは、最近の優秀な新進アーティストのアルバムのつくりとはまったく違う。名うてのミュージシャンを大勢呼んできて洗練された音づくりを目指す方向とはまったく違うのだ。そういう加糖処理や、化粧はいっさいない。そのための予算もなかったのだろうが、そんなことは問題ではない。

 問題はここに差出された音の中身だ。おれたちはこんな音楽をやる。だれの手も借りない。よかったら聞いてくれ。そんなそっけなさのなかに高潔な心意気を感じる。

 しかし、実際にはアイルランド語放送局やアイルランド語庁(Foras na Gaeilge)など四機関が本アルバムを後援しており、次代をになうこの若者をほうってはおかない。

 たとえて言うと、あしたのジョーに、忘れかけていた真のハングリー精神を想いおこさせる路地裏の眼光鋭い少年みたいなのが、この Doimnic Mac Giolla Bhríde なのだ。(← 意味不明)

 今は新しい伝説の誕生に静かに乾杯したい。

 おめでとう、a Dhoimnic!

 参加アーティスト――

  • Doimnic Mac Giolla Bhríde (vo, uilleann pipes, etc.)
  • Niall Hackett (bouzouki, etc.) 他

* 

 このアルバムの5年後、彼は2009年にオリアダ杯を獲得し、名実ともにアイルランドを代表する歌い手となった。 

2006年の貴重な動画(FKWSで彼が教える歌のクラスで唄った 'An Draighneán Donn')


 

Saol Na Suailce
Doimnic Mac Giolla Bhride
Claddagh
2004-08-17


香月日輪『妖怪アパートの幽雅な日常1』講談社文庫、2008)

Kozuki-YokaiApartmt1

 語り手は高校1年生の稲葉夕士。十三歳で両親を交通事故で失い、以来、伯父の家に暮らしていたが肩身が狭く嫌で仕方ない。早く家を出たくてたまらなかった。高校進学を機に寮生活をすることになり、やっと夢が叶うかと思われた。だが、その寮が火事で全焼。建て直して入寮できるのは早くても半年後になった。

 そこで、不動産屋に適当なアパートを探しに行くが、希望の家賃では今頃部屋などありはしなかった。アパートが無理なら今まで通り伯父の家から通わなければならない。なすすべもなく、公園のベンチにすわりこんだ。

 と、そこへ、子どもの声がかかる。「お兄ちゃん、部屋を探してるの?」と。裸足に運動靴をはいた小学生らしき足が見える。あの店へ行ってみなよといわれ、顔を上げると、その子の姿はなく、正面に「前田不動産」と書かれた小さな店があった。そこから妖怪アパートへの道は始まる。

 紹介されたのは賄い付きで家賃二万五千円という破格の物件だった。光熱費、水道代、賄い費こみ。寮費の三万円よりまだ安い。

 世の中「うまい話」なんてない。いわくありでしょうと訊くと、オバケが出ると。そこで諦めてしまえばこの物語は成立しないのだが、前田のおじさんがそのアパートに持っている部屋を半年だけ敷金なしで貸すといわれ、夕士は住むことを決める。

 これが行ってみると、とんでもない非日常の世界。個性的という範疇をはるかに超えた住人や物の怪やその他得体の知れぬモノたち、出される素晴らしく旨い料理等々。ところが、夕士がこれまで悩んでいた、情の薄い乾ききった人間関係とはまるで違い、温かく、この上なく「人間的」な環境で、まことに居心地がよい。

 そんなアパートなのだが、半年後には出て行き、寮生活を始めることになる。そうした高校一年間の夕士をめぐる物語が展開する。

 著者は本など読んだことがないと自称し、知識はマンガで得たと語っているが、本作を読むかぎり、なかなかどうして、読み応えがあり、この世界にどっぷりつかりたいと読者に思わせるだけの作品になっている。忘れかけた「人間性」を妖怪の側から教えられるような不思議な小説だ。







Meaití Jó Shéamuis Ó Fátharta, Bóithríní an Locháin: Sean-Nós Songs from Connemara (Cló Iar-Chonnachta CICD 154, 2003)

OFatharta-Boithrini

 コナマラの男性アイルランド語歌唱の雄、マティ・ジョー・ヘームィシュ・オ・ファールタ。

 2001年のオ・リアダ杯受賞者。

 収録曲(斜体は器楽曲)――

  1. Baile Uí Lí
  2. Lá Féile Cáilín
  3. An Buachaill Caol Ard
  4. Ríl Imelda Roland, Ríl an Ghleanntáin (reels, flute)
  5. Nóirin mo Mhian
  6. Amhrán Pheter Mhicil Báille
  7. Seicín an Dole
  8. Joe Mháire Mhicilín, Bodóga Chonnacht (reels, lilting)
  9. An Sagart Ó Domhnaill
  10. An Deoraí
  11. An Fear Ceoil
  12. Ríl Lucy Campbell, Bean an Tí ar Meisce (reels, uilleann pipes)
  13. Patrick Sheehan
  14. An Bhó Bhán
  15. Inis Barr an Chuain
  16. Aistear go hÁth Luain, Cos na Lachan (jigs)
  17. Bóithríní an Locháin

 参加アーティスト――

  • Meaití Jó Shéamuis (vocals, lilting, flute, uilleann pipes) 他 

 ベスト・トラックは 'Bóithríní an Locháin'. たとえば、この歌におけるスピード感は近年の歌い手の中では非常に珍しい。この歌のやや短いヴァージョンのライヴ録音が Cumar (CICD 141) で聴ける。これもすばらしい。

 昔のシャン・ノース歌手は今の歌手よりもテンポが速かったと言われているから、これが、より古いスタイルなのだろう。

 装飾音 (ornamentation, embellishment) の観点からいうと、このほうがはるかに歌うのが難しい。しかも、コナマラ流のシャン・ノース歌唱では特に装飾音の附け方こそが、歌の生命線である

 その意味では真に現代の名人の名に値する。 


Boithrini An Lochain: Sean-Nos Songs from Connemar
Meaiti Jo Sheamuis O Fatharta
CD Baby
2009-02-03

 

自分の生命の尊いことはわかっても、他人の生命もまた尊いことは忘れがちである。

やはり、ある場合には自己を没却して、まず相手を立てる。自己を去って相手を生かす。そうした考えにも立ってみなければならない。そこに相手も生き、自己も生きる力強い繁栄の姿がある。尊い人間の姿がある。

自己を捨てることによってまず相手が生きる。その相手が生きて、自己もまたおのずから生きるようになる。これはいわば双方の生かし合いではなかろうか。

--松下幸之助『道をひらく』PHP研究所、1968)より

Matsushita-MichiWoHiraku
 

(ひとこと)

 小宮一慶氏(経営コンサルタント)が寝る前に必ず松下幸之助『道をひらく』を読むことを続けているという。繰返し読むに値するという意味では古典といえる。

 上に「繁栄」のことばが出てくるが、松下幸之助らしいと思わせる。それでも、その「繁栄」はまず自己を捨てることによって相手が生き、その結果として力強い「繁栄」の姿があるというのである。単に商売に成功した状態を指すのでない。お互いの命の尊さが輝き出でるような「繁栄」ということなのだろう。そういう「繁栄」や「繁昌」なら結構なことではないか。


道をひらく
松下 幸之助
PHP研究所
2010-06-04

 

Lillis Ó Laoire, Annie Ebrel, Màiri Smith, Julie Murphy, Datgan (Fflach CD183H, 1997)

Datgan

 ケルト諸語の四地域、アイルランド出身の リリス・オ・リーレ、ブルターニュ出身の アニー・エブレル、スコットランド出身の モーリ・スミス、ウェールズ出身の ジュリー・マーフィー の無伴奏伝統歌のみを集めた珠玉のアルバムこれほどの録音は今後もまず出ないだろう。

 

 この CD は無伴奏歌を心の友とする人ならおそらく宝物になるであろうアルバムである。海へ海へと押しやられていった文化、なかんづく詩歌の粋が詰まっている。

 

 このアルバムで面白い趣向は、各自がソロで歌う以外に、デュエットでも歌うことだ。異文化圏に属するはずであるのに、なんの屈託もなく、自然に共演している。特に、トラック5 'Airdí Cuain' のオ・リーレとスミスとのデュエットはすばらしい。トラック12 'Ag an Phobal Dé Domhnaigh' はリリスのソロ・アルバム(1992)の同曲とはもちろん別録音。こちら Datgan での録音のほうが現在のリリスの声に近いと感じる。

 無伴奏伝統歌の録音はかくあるべしというお手本のような録音。こういう声のひびきが録音できるということは、エンジニアの Wyn Jones はよほどよく分かっているに違いない。ともあれ、これほどのいい録音で名歌手の歌が聴けるというのは、至福以外の何物でもない。リリスの声は本当にこんな声だ。あとちょっとで本物の声に近づく。ウェールズ語の datgan (表現する、物語る、表す) はこういう声のためにあるのであろう。ちなみに、シャン・ノース歌唱では「歌を話す(語る)」 (abair amhrán) という言いかたをする。


 収録曲――

  1. An tOileán Úr (Lillis Ó Laoire)
  2. Nozvezh Kentañ ma Eured (Annie Ebrel)
  3. Hi Horo Tha Mi Duilich (Màiri Smith)
  4. Morgan Jones o'r Dole (Julie Murphy)
  5. Airdí Cuain (Lillis Ó Laoire & Màiri Smith)
  6. Dyffryn Clettwr Fach (Julie Murphy)
  7. Mo Dhùrachd do'n Tir (Màiri Smith)
  8. Ar Bonom Kozh (Annie Ebrel)
  9. Ged a Sheòl (Màiri Smith & Lillis Ó Laoire)
  10. Ffarwel fo i Langyfelach Lon (Julie Murphy & Annie Ebrel)
  11. Erru eo ar Momant (Annie Ebrel)
  12. Ag an Phobal Dé Domhnaigh (Lillis Ó Laoire)
  13. Cân Dyffryn Clettwr (Julie Murphy)
  14. An Bhanaltra (Lillis Ó Laoire)
  15. Mo Dhùthaich Ri Tighinn Air M'aire (Màiri Smith)
  16. Marv eo ma Mestrez (Annie Ebrel)

 参加アーティスト――

  • Lillis Ó Laoire, Annie Ebrel, Màiri Smith, Julie Murphy (vo)

 入手が困難かもしれない。調べたところ、フランスは ブルターニュの AlbumTrad という、伝統音楽専門店で扱っていることがわかった。全曲試聴できる。ぼくは使ったことがまだないが、品揃えはすばらしい。1枚12.50ユーロ均一。送料は枚数による(1-2枚だと6.49ユーロ)。クレジットカードが使える。 

かたやま和華『不思議絵師蓮十―江戸異聞譚〈2〉』アスキーメディアワークス、2013)

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文化文政のころの江戸。当時はバブル経済の絶頂のような時期であり、町人は桁外れに贅沢な暮らしをしていたと書物に書残されているとか。

 その頃、娯楽文化が円熟し、絵師や戯作者、役者といったエンターテインメイント系の職業はスター誕生の舞台でもあったらしい。絵筆一本に夢をかける若き絵師、石蕗蓮十(つわぶきれんじゅう)の物語の第2弾。蓮十の筆にかかると、ほころびをわざとつけないかぎり、絵に魂が吹き込まれ、絵が動き出すことがある。その不思議な絵にからむ物語が3篇収められている。

 第一話「鼠と猫」は鼠除けの猫の絵を描く話。蓮十の友人の歌川国芳(実在の浮世絵師)にはそんな絵が実際に残っている。国芳はかなりの猫好きだったらしい。蓮十の猫の絵はまかり間違えば絵を抜け出て鼠を追っかけかねない。ところが、「鼠」には盗人の意味もあることから話はややこしくなってくる。

 第二話「青葉若葉」は蓮十が朝にもらった鯉が夕には松魚(かつお)に変わっていた次第を物語る四題噺。数奇な話だ。

 第三話「ろくろ首の娘」は鐘撞き堂の娘がろくろ首との噂がたつ話。蓮十は娘の父親に肉筆画の似顔を娘の見合いのために描いてくれとの依頼を受ける。その絵で噂を打ち消そうというねらいなのだ。

 全体に、当時の江戸の文化や風習などがよくわかり、文章も味がある。人情も細やかに描かれている。シリーズ第1巻にあったような、みっともない誤植の嵐もないので、やっとまともなスタートを切ったといえるかもしれない。


不思議絵師蓮十―江戸異聞譚〈2〉 (メディアワークス文庫)
かたやま 和華
アスキーメディアワークス
2013-01-25


不思議絵師 蓮十〈二〉 江戸異聞譚 (メディアワークス文庫)
かたやま 和華
KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
2015-07-02