20世紀のモダニズム文学をフィクションで代表するひとり、アーネスト・ヘミングウェイと、詩で代表するエズラ・パウンドにとって、イタリアのヴェネツィアはいったいどんな意味を持ったのか。ヴェネツィアを彼らにとって意義ある街としたのはどんな女性だったのか。そうした疑問をつねづね抱いてきたような人にはうってつけの本である。

 ヘミングウェイのほうを今村楯夫が、パウンドのほうを真鍋晶子が執筆している。この二人の読者層はあるいは分かれるかもしれないが、彼ら同士は友人であり、文学史的にも彼らの関係は重要である。仮にそれぞれの読者であったとしても、そのことに加えてヴェネツィアにも興味があれば、この本は面白い。

 ヘミングウェイがヴェネツィア出身のアドリアーナ・イヴァンチッチに出会ったのは1948年12月初旬の鴨猟の折だった。ときにアドリアーナは19歳の誕生日を迎える前であった。一日中雨が降っていた。その場で唯一の女性だったアドリアーナは濡れた黒髪を手で梳いていた。それを見たヘミングウェイは自分の櫛を半分に折って片方を差出し、「お嬢さん、これをお使いください」と言ったという。ヘミングウェイの作品『河を渡って木立の中へ』の少女レナータはアドリアーナがモデルといわれる。

 一方、パウンドにとってヴェネツィアは因縁が深い土地である。1908年、失意のパウンドがヴェネツィアに渡り、詩集『消えた微光』を出版した場所である。だが、なんといっても、五十年にわたるパートナー、ヴァイオリニストのオルガ・ラッジとパウンドが共に暮らした「秘密の巣」がある場所である。その間、妻ドロシーとはラパッロに住んだ。

 ヘミングウェイにもパウンドにも見られる光と影の諸相をもし地上の現実の世界に求めるとするなら、ヴェネツィアはあらゆる土地の中でも最も印象的な場所のひとつだろう。光と影と水の三者が夢幻の霧を醸成する空間は、文学を通して世界を眺め暮らし、物思いに耽るにうってつけである。

 だけど、ひとつ注意が必要だ。こうした本を読むと、彼らの本を読みたくなるだけではすまない。必ずヴェネツィアに行きたくなるだろう。その際にはヘンリー・ジェイムズの『アスパンの恋文』も携えてゆくのもいいだろう。

(追想)
 私はイタリアはメラーノでオルガ・ラッジに会ったことがある。名を呼んでくれたときの音楽的な声、詩的な声は忘れられない。

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