酒井 俊弘『聖性への招き ーおばさん、おじさんも聖人にー』(教友社、2012)

Sakai-Seisei

 聖とは何か、人間を聖なる者にするとはどういうことか、について根本のところからやさしく説いた書。

 〈元来、聖なるものというのは神について〉であると説いた上で、神が人間をその聖なる状態に与らせようとしたことが創世記から分かるとする。

人祖というのは、神から創造されて、堕罪の後、原罪の状態に至るのですが、創造されていきなり原罪の状態に陥ったのではありません。創造されてから堕罪に陥るまでの間に、別の状態のワンステップが入るのです。それを「高揚」とか「原初の義と聖性の状態」(『カトリック教会のカテキズム』375)と言います。これは「聖性に与らせますよ」という神の関与です。(14-15頁)
 神が人間の聖性を望んでいることが最も表れている聖書の言葉は次の箇所。

「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」(エフェソ1・4)

 ちなみに、「召命」「召し出し」の語は4世紀から20世紀初めまでの間、〈聖職者あるいは修道者への召命のこと〉を指した。しかし、最初の時代と現代においては、〈すべての人、一人ひとりに対する神の計画のことを「召命」という〉。

初代教会にはもちろん聖職者はいましたけれども、宣教の役割を担っていたのはむしろ普通の人たちであったし、「聖」という言葉も気軽に使われており、洗礼を受けた人を、聖人と呼んだくらいです。(27頁)

 人間において「聖」の言葉を用いるとき、だいたい三つの意味で使われる。(1)本体論的意味・(2)倫理的意味・(3)終末的意味の三つ。

(1)本体論的意味…洗礼を受けて原罪をゆるされた状態、すなわち成聖の恩恵の状態。これが基礎。
(2)倫理的意味…聖なる生き方。
(3)終末的意味…天国に行くこと。至福直観の恵みに与る。天国にいるのは皆、聖人。