J. R. R. Tolkien, 'Smith of Wootton Major' (1967)

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〔書影は、本作品を収めた、入手しやすいトルキーン作品集 Tales from the Perilous Realm: Roverandom and Other Classic Faery Stories (2009) から〕

 南アフリカ(オレンジ自由州)生れの英国の中世研究者、作家トルキーン(トールキン)(『指輪物語』の作者)の最後の作品は数奇な書かれ方をした。執筆にかかったのは1965年で、刊行されたのは1967年。つまり、作者73歳のころに書かれており、これは自らの作家引退を告げる書でもある。

 ノヴェラ(短編小説)に分類されることもあるが、実際には短編というには長く、中編小説くらいだ。もともとはジョージ・マクドナルドの "The Golden Key" への序文だったが、それがふくらんで自らの小説作品となったのだ。主人公スミスの妖精界との往還が主たるテーマだ。

 内容は、トルキーンの妖精観の終着点、あるいは総決算ともいうべきもので、ずっと前に書かれた妖精物語論 "On Fairy-Stories" (1947) に比べると、見方によってはずっと踏み込んだものだ。その意味で、トルキーンにとって妖精とはなにか、'faerie' (原意は「妖精の国」)とはなにか、の問題に関心がある人には必読の文献だが、なにより物語として秀抜なできで、これをトルキーンのベストに挙げる人は少なくない。私もこれは最高傑作だと思う。

 さまざまな問題が提起されており、興味深いのだが、なぜかこの作品について正面から研究したものは殆どない。そこで、本書に見られる諸問題のみ、少しスケッチする。

 最大の問題は 'faerie' とは何かということで、これは論じるのがきわめて難しい。本作では外なる faerie (Outer Faery)、つまり妖精界の外側と、内なる faerie、つまり内なる妖精界とが厳然と区別されている。前者から後者へ至る道は厳しい。外側の妖精界は World、つまり人間界と接しているところだが、それは見える人には見え、見えない人には見えない。

 次に、本作での大きな問題は fay-star (妖精の星)とは何かということ。一面的には、スミスの額において輝く星としてあるときには、妖精界へのパスポートや道しるべの役割を果たすものだ。しかし、それだけなのか。いや、第一、そのような役割を果たすものとは一体何なのか。

 さらに、スミスが妖精界へ行くと、そこの住人の誰からも 'Starbrow' と呼びかけられること。つまり、「星額」(額に fay-star をつけている)と呼ばれるわけだが、この名はそこでは隠されてはいない。このことは何を意味するのか。

 妖精界の外側で風に追いかけられる場面があるが、あの風は何か。アイルランドでいう gaoithe Sidhe (fairy wind) を想わせるけれど。

 妖精界からの記念の品として Living Flower、つまり「生きた花」を持帰るが、これは何か。また、これが放つ光によってできるスミスの影が大きいのはなぜか。

 妖精女王(大きい)以外に妖精王が出てくるが、その王のほうは村の料理長 Alf に身をやつす。これはどういう意味があるのか。また、Alf は一説に Elf の転じたものといわれ(一般的な説は Alfred の愛称)、ということは、妖精界における位の高い種族を表すのか。

 等々、トルキーンがこれまで自身のさまざまな作品をふくめ、中世に関して行ってきた研究などの集大成的なもろもろが惜しげもなくつぎ込まれており、これを最後と妖精界に別れを告げるという作品プロットと自身の作家人生の幕引きとが切ないまでに重なって見えてくる。

 これほどの重要な、しかもめっぽう面白い、緊密な構成の作品でありながら、日本ではトルキーンの熱心なファンや研究者以外には殆ど知られていない作品だろう。絶版だが、吉田新一他の訳による『農夫ジャイルズの冒険―トールキン小品集』(評論社、2002)に「星をのんだかじや」の題で収録されている。〔かじやが子供の時、子供の祭りの特別なケーキを食べた際に妖精界への切符ともいうべき星をのみこんだことから。〕