池澤夏樹『静かな大地』(2004)

IkegamiShizukana

 池澤夏樹の母方の先祖の長大な物語である。

 徳島藩の侍に攻めてこられ、淡路島から北海道の静内(しずない)へ新田開拓者として移住する主人公の父の一家。淡路の者は徳島藩の陪臣(家来の家来)であった。淡路の稲田家中が勤王寄りの考えで活動するのを、徳島の蜂須賀家中は苦々しく思っていた。騒動があったのは、御一新(=明治維新)という国の作り直しの大作業中の明治三年のことである。

 挑発にも耐え刀を抜かなかった者たちのことを思い、主人公の父の兄は「勇気と分別は並び立ちがたい」と後に言った。この場合、勇気とは侮りに耐えて反抗しない勇気をいう。分別とは武士として汚名を雪ぐべく、憤然として刀を抜き切られること、あるいは捕まるよりはと腹を切ることをいう。むずかしい選択だ。自分ならどうするだろうかという問いを読者も突きつけられる。「兄はものの見えた人だった」と語られる。また、言われるままに抵抗しないことも肝の据わったことだと兄は後に言ったとある。だが、騒動の当時、八歳にもなっていない兄にも、どうにもできないことであったろう。見えていたとしても、実際にどう行動するかは別の話である。

 こうした話を父は娘の由良(ゆら)に夜毎に語って聞かせる。由良は静内生まれである。淡路というところは知らない。七歳で洲本を出た父もあまり覚えていない。だから、父は「幼い時に離れてしまった淡路に糸を二本結んでおくように、二人の娘に都志と由良という淡路の地名に由来する名を付けた」のである。

 まだ移住する前のある夕食の後、北海道行きの話がもちあがる。主人公の父の兄が発言する。
父上、うちは蝦夷に行きますか、と兄が問うた。
前の年、北海道と名を改めたとはいえ、人々の心の中ではまだまだ蝦夷地だった。主人公の父の父(兄の父)は目を閉じて考えた後、むずかしいところだ、と答える。問答をするうちに、主人公の父の兄(三郎)がこう訊く。
 蝦夷地は日本ですか、と重ねて三郎が聞いた(と父は由良に話した)。
 さあ、そこだ、と父上は言われた。
 もともとは日本ではなかった。大名もおらず、百姓が田を作ることもない。だいたいが寒すぎて米ができない。蝦夷の民は海と山から獲物を得て、その他に粟や稗などを作って、暮らしてきた。別の国だったと言ってよい。いや、あそこには国というものがなかったのかな。
さらに、話を続けた後、蝦夷の民のことについてこう言う。
 行くか、行かぬか、ここが思案だ。
 そう言えば、今はもう蝦夷とは呼ばないのだ。蝦夷というといかにも日本国の外の民のように聞こえる。それはロシアに対してもよろしくないというので、今は土人と呼ぶことになっている。
 自分たちではアイヌと言っているらしいがな。
本書はこのアイヌと和人(アイヌ以外の日本人)との交わりの話である。「日本の中であるような、外であるような」蝦夷地に行った人々の歴史。

 結局、「洲本では多くの家が蝦夷地行きに参画することにな」る。いろいろ準備はするが、北海道が「どのように寒いのかは誰も知らない」。「何が作れる土地か」もわからないが、これからは「農が基本の暮らしになる」。
そう言われても、人々が脳裏に浮かべたのは淡路の田であり、淡路の畑であった。夏の間は踏み込むこともできないほど笹が茂って大木が居並ぶ深い森を思い描くことはできなかった。つまるところ、人間は知らないものを見ることはできないのだな
と主人公の父は由良に話した。

 こうした話が伝えられるにはわけがある。それを由良の父はこう語る。
後になって、父上はよく昔話をされた。自分たちは一身にして二つの世を生きた。珍しいことであったから、こうして二人の息子に詳しく話す。おまえたちもよくこれを子孫に伝えるように、と言われた。
 だから、由良、私はこうして話している。
まるで、オーラル・ヒストリーの原点のような話である。

 その後、いろいろなことがある。静内から札幌に引っ越して暮らしていたころ、主人公の母が父に所望され歌う場面がある。母は弥生という。母が歌ったのは江差追分だった。
 鷗のなく音に ふと目をさまし……〔略〕
 本当にゆっくりしたお唄、と終わってしばらくして、手にした刺繍から顔を上げて都志が言った。鷗のなく音、までで丁寧に十針も刺せました。
 小節まわしだけの唄だから、と母は言った。
これはシャン・ノース(アイルランド語無伴奏歌唱)に関心がある評者には驚愕の記述である。アイルランド語の歌における小節(メリスマ)とよく似ている。名人が歌えば、歌詞の1行で30秒くらいかける。恐らく、弥生は、鷗のなく音、をそれくらいかけて歌ったのではないか。ちなみに、アイルランドと北海道は同じくらいの大きさである。アイルランドが70284km²、北海道本島が77984km²である。また、緯度は札幌が北緯43°だが、ダブリンはずっと北の53°である。

 ことほどさように、本書は細部に生命が宿っている。口伝えで継承された先祖の話がこうして命脈をたもつ。見事な物語りである。静かなる傑作。

 ところで、本書とは別のことだが、アイヌのことばについて少々記しておきたい。由良が結婚後に恩人である秋山五郎に会いに行く場面がある。五郎はアイヌであり、アイヌの名はオシアンクルという。由良の父や伯父が仲がよかった。由良と五郎との会話で多くのアイヌ語が出てくる。もちろん、一般にアイヌ語と日本語とは別物として扱われる。金田一京助のごとき、両者を別言語と考える理論などはその最たるものである。だが、果たしてそうなのかとの疑問をつきつけた梅原猛のことばが忘れがたい。梅原はアイヌ語は日本語の祖語といってもいいと書く。そう考えて初めて詩劇として『古事記』の文学性が味わえる部分があるという。

 ことばについて記すとどうしても、アイヌの物語る力のことを書いておきたくなる。アイルランドでいうシャナハス(語り)を想起させる。本書でアイヌ民族の言葉の力について述べた箇所を引用する。
 総じてアイヌは言葉の民である。
 民族には得手不得手があるらしい。人でも、ある者は音楽に秀で、ある者は細工物がうまい。また芝居に長けた者もいる。
 民族もまた同じ。そしてアイヌの場合は言葉の力、物語る力が抜きんでていた。そうでなくてどうしてあれほどのユカラ、無数のウウェペケレ、さまざまな神や英雄や動物や美女や悪党の物語が残せるだろう。
 アイヌは大廈高楼を作らず、芝居を演ずることなく、具象の絵を描かず、交響の楽を奏しなかった。それらはすべて言葉の建築、言葉の絵、言葉の楽となった。(「チセを焼く」)

 巻末に挙げられた多数の参考文献から少し記しておく。花崎皋『静かな大地―松浦武四郎とアイヌ民族』(岩波現代文庫)、知里幸恵『アイヌ神謡集』(岩波文庫)、萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典』(三省堂)、萱野茂『アイヌの昔話』(平凡社)、イザベラ・バード『日本奥地紀行』(平凡社)、小笠原信之『アイヌ近現代史読本』(緑風出版)。


静かな大地 (朝日文庫 い 38-5)
池澤 夏樹
朝日新聞社
2007-06-07