「ミセス」2015年 3月号文化出版局、2015)

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 雑誌の目次に「〈世界遺産〉熊野古道 梨木香歩さんが歩く、蘇りの道」とある。蘇りは編集者がこの文章から読取った鍵語としてふさわしい。

 著者がある覚悟の上でこの取材行を引受けたことが最後の方に出てくる。2014年11月に熊野古道の伊勢路(馬越峠、松本峠、七里御浜の浜街道)を歩くことを決めた著者の心情が次のくだりから窺える。

この取材の話が私のところへ来たのは、病いがわかり、治療法の選択肢を巡って周囲と頭を悩ませていた、その真っ只中にある頃で、難所を歩く仕事なんて、とても責任を持って引き受けられるような状況でも体力でもなかった。辞退しなければならない話だったのに、なにか、峠の向こう側に差す光の明るさのようなものを感じ、これをやり遂げなければ、自分がこのまま精神的にも立ち上がれなくなるような気すらした。

 著者は熊野速玉大社を訪れたあと、足を伸ばして神倉神社に向かう。神倉神社の石段は五三八段ある。「下から見ると聳え立つ岩壁のような急坂」で、途中で引き返すことも念頭にあったが、「急すぎて、途中ではもう、戻ることも出来ず、後ろを振り返ることすら出来ず、恥も外聞もなく、両手を使い攀じ登るようにして前へ進んだ」のだ。登り切ったら素晴らしい眺望が待っていたという。ああよかったと、読者も心から思うところだ。

 ここまでして古来、女性が熊野参詣を志す訳について、著者は次のように推察している。

若くもない女性がその歳まで生き抜いてきて、熊野詣へ行こうと思い立つには、それなりに紆余曲折の人生があったに違いないのである。一旦死んで、蘇るより仕方がない、切羽詰まった思い。

 女性誌に書くという場をわきまえて、女人禁制でない聖地としての熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)と和泉式部のエピソードも書いているけれども、いつか本に収録されれば、男性読者にも等しく感動を与えるだろう。作家としてのある種の危機を乗り越え、歩み出した著者をこれからも見守りたい。