シェイマス・ヒーニーシェイマス・ヒーニー全詩集 1966~1991』(国文社、1995)

Heaney-ZenShishu

いつか僕はオーフスへ行って
ピートで茶色くなったその男の顔と
柔らかい豆の鞘のようなまぶたと
皮膚のように見える先の尖った皮の帽子を見てみたい

 『冬を生きぬく』(1972)に収められた「トールンの男」の出だしの4行を読むと、デンマークで掘出された鉄器時代人が眼前に迫る心地がする。

 ノーベル文学賞を受賞したアイルランドの詩人シェーマス・ヒーニが古今東西に広い視野を持つことはよく知られているけれども、どうしてデンマークの考古学的遺物のことを詠ったのだろう。現代の諸問題に鋭いアプローチをするために古典的題材を合わせ鏡のように持ってくることが現代詩の戦略の一つだとしても、二千年前の初期鉄器時代の発掘物が現代とどんな関わりがあるというのだろう。

 小説は(ミステリ小説に限らず)畢竟謎解きであると喝破した小説家がいたが、詩だって、その本質は一種の謎解きと言えなくもない。この詩など、その典型例だろう。

 謎の答えは現代の状況にこそあった。ヒーニはこの頃、北アイルランドのカトリク対プロテスタントの深刻な対立抗争を表す象徴(エンブレム)を探し求めていた。その結果、とうとう見つけたのが、デンマークのユトランド半島にあるトールンのピート(泥炭)のなかから発掘された、この男だった。

 「いつか僕は」と書くが、実際にヒーニは1973年10月にユトランド半島中部にあるシルケボルグ(シルケボー)博物館で「トールンの男」のミイラと対面した。

 この男は何のエンブレムなのか。地母神に捧げられたとも言われる男の首には絞首刑の首縄があった。それにヒントを得て、北アイルランド紛争のなかで死んでいった人がアイルランドのピート層から二千年先に発掘されることを詩人は幻視したのだろうか。未来の人間は発掘された人の本当の死因や死をもたらした当時の状況については想像するしかない。想像するしかないのだが、ピートのなかであまりにもよく保存されたミイラは過去のものという感じがしないのかもしれない。保存状態がよければ、二千年の時間など、(詩的)想像力が跳び越えるのは難しくない。

 詩の最後は次のように終わる。

ユットランド半島の
生贄を捧げるのが慣わしの教区で
僕は途方にくれ 悲しくなりながらも
なぜか故国にいる感じ

 この詩を書いたときの予感は実際に行ってみてどう感じられただろうか。その答えが本当に知りたい人は、やはり詩人と同じくこの博物館に行ってみたくなるかもしれない。


シェイマス・ヒーニー全詩集 1966~1991
シェイマス ヒーニー
国文社
1995-12