ボブ・ディランのノーベル文学賞講演の冒頭にバディ・ホリのことが出てくる。

BuddyHolly_guitar


その後に文学上かれに影響を与えた三冊の話が展開する。その話が長い。誰も否定しようのない名作三冊だ。

講演全体を通してみると、ホリのことは「まくら」、すなわち単なる導入部の印象を受ける人があるかもしれない。かれの話のテーマは「文学」をめぐるものであると考えられるからだ。

しかし、よく見ると、ホリの次に米国ルーツ音楽から「フォークのことば」を学んだことを実例をもって語っている。その「ことば」を用いて歌を作ってきたとも言っている。

従来からディランの歌の源泉としての口承詩歌の二つの流れ、バラッドとブルーズのことがよく知られ、議論されてきた。この講演でもディランがその二つに言及している。

それらが源泉であることにおそらく疑いはない。ただ、その源泉がディランに流れ込むのは単純なルートを経由したとは限らない。ディランと同じようにそれらの影響を受けた多くのミュージシャンを「仲間」とすれば、「仲間」経由のルートもまちがいなく存在した。

その「仲間」の筆頭に来るのがたぶんバディ・ホリ(1936-59)なのだ。ボブ・ディラン(1941- )の5歳上、お兄さんのような年齢差だが、ホリのコンサートで直に何かを伝えられたということを、講演の冒頭で力説している。生のコンサートにおける、この直接的なコミュニケーションに目覚めたことが、その後のディランのライヴ重視につながっているのではないか。録音や活字などの媒体もよいけれど、コンサート会場の同じ空気を吸い、(運がよければ目を合わせて)聴くことは何ものにも代えがたい。この講演でディランがいうような目が合う体験は、ステージに近い席だと実際にあり得る。その瞬間に何か閃光のようなものがパフォーマとリスナの間に飛び交うかもしれない。

その「お兄さん」を自分と同じように吸収した「仲間」もいる。その筆頭に来るのがたぶんジェリ・ガルシーア(1942-95)だ。ディランの1歳上で、ほぼ「盟友」のように感じていたかもしれない、お互いに。ディランの1990年代の傑作 'Not Dark Yet' (1997) が生まれた間接的な原因の一つはガルシーアの死(1995)にあるのではないかという気もする。

そんなことを、とりとめもなく考えたのは、ディランの1999年11月10日のコンサートの動画を見たからだ。米コネティカット州ニューヘーヴン(イェール大学があるところ)のヴェテランズ・メモーリアル・コロシーアムでの公演の曲目を見ると、最後の2曲が 'West L. A. Fadeaway' (Jerry Garcia & Robert Hunter) と 'Not Fade Away' (Charles Hardin [Buddy Holly] & Norman Petty) になっている。この2曲はディランとガルシーアの「盟友」関係を背後に感じる、すばらしい演奏で、その濃密さはディランとグレートフル・デッドが「義兄弟」のようにも感じられるほどだ。グレートフル・デッドのベーシスト、フィル・レシュもステージ上にいて、ディランとは「スピリチュアル・ブラザーズ」のように感じられる好演だ。



[Bob Dylan, 'West L. A. Fadeaway' and 'Not Fade Away', 10 Nov. 1999]



[参考ビデオ]



[Grateful Dead, 'West L. A. Fadeaway', 1983 ↑]




[Grateful Dead, 'Not Fade Away', 1989 ]


Buddy Holly のオリジナル ↓




当時、バディ・ホリのステージがどんな感じだったのか、想像できるのが 'Buddy Holly Story' の場面 ↓




メガネをかけたこのシンガーがどれほどの影響を当時与えたか。その一端がポール(1942- )の話からも伝わる ↓