沓掛良彦『トルバドゥール恋愛詩選』平凡社、1996)

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 12世紀南仏のトゥルバドゥールの詩選(1996)。

 訳編者は西洋古典文学(古代ギリシアの抒情詩)が専門だけど、フランス文学者がいっこうにトゥルバドゥール詩選集を出さないなか、50篇の詩を訳して出したのは慶賀すべきことだった。が、それから17年たつが、いまだにフランス文学畑からの訳業は、『信仰と愛と フランス中世文学集 1』に収められた22篇や『愛と歌の中世――トゥルバドゥールの世界』に収められた20篇を除いてはない。

 もっともその理由なら推測はつく。トゥルバドゥールの言語は南フランスのプロヴァンス語(オック語)であり、詩で用いられる言葉や韻律は難解以外の何物でもないからだ。一方、フランス語は北フランスのオイル語の系統であり、詩の言語としてはまったく違う。だいいち、プロヴァンス語の辞書や文法書を手に入れるだけでも相当な困難がある。

 日本でしばしば「吟遊詩人」の語が使われる。ずっとそれは jongleur というフランス語に対して使われてきたが、誤りである。jongleur は確かに吟遊はするが、みずから詩は作らない。作るのは troubadour のほうである。広辞苑の「自作の詩を吟誦・朗読した者」の定義をジョングルールに使うなら、もちろん誤りである。まさにその定義に当てはまるのは troubadour だ。

 本書はそのトゥルバドゥール37名の詩50篇を集めて日本語訳し、あわせて詩人の「古伝」(ヴィダ)「作品解題」(ラソ)も訳出してある。今では古書でしか手に入らないけれど、ともかく日本語でまとめてトゥルバドゥールの詩を読もうと思えばこの本くらいしかない。訳詩は読みやすい。

 トゥルバドゥールの詩、なかでもアルナウト・ダニエルの詩は、西欧近代叙情詩の淵源としてきわめて重要である。それまではちゃんとした文学にはラテン語が用いられるのが常識であったのを、俗語(現地語)でもりっぱな文学が書けることを初めて証明してみせたのがトゥルバドゥールの詩であり、そのことをダンテは『俗語詩論』で論証し、その理論的成果を『神曲』という西欧文学の大金字塔で実証してみせた。

 だから、ヨーロッパ各国の言語(ロマンス語)による文学が花開いたのは12世紀のトゥルバドゥールと、それに気づいたダンテのおかげなのである。その質の高さが瞥見できる本書は貴重な存在だ。もちろん、文学史的に重要なだけでなく、その文学の中身、水準があまりに抜きん出ていることが、ヨーロッパ文学における奇蹟のようにも思える。ここから詩の泉を汲取って大詩人となったダンテやシェリやパウンドらの原点はここにある。