「現代詩手帖」2018年8月号

GendaiShiTecho201808

[特集]海外からの風

ル・クレジオ「詩の魅力」は東京での講演(2018年4月15日)を収めた2回連載の第1回(中地義和・訳)。オルペウスとエウリュディケーの神話を物語るラテン詩人ウェルギウス『農耕詩』第四歌のヴィクトル・ユゴーによるフランス語訳。詩の魅力=魔力を例証するギリシア・ローマ文化における最良の例として。歌と詩との結びつきは人を魅惑する力を持ち、神に同意を求め、魂に恩恵をもたらすはずであるが、同時に危険をもはらむ。

マイケル・ロングリー「贈り物の箱」
茶室ではぼくらのサイズは完璧に規格はずれだ
でもそれは、たったひとつの茶碗の周りに座るまでのこと、
一期、一会、水のリボン
そして一瞬浮かぶ濡れた葉っぱの表意文字、お茶。

片岡義男「What's he got to say?」
ディランのNo Direction Home論だ。邦題がないので彼は仮に「帰路無道標」と。ディランの詩作の秘密にさらりと触れたあと、人に語ってその人をつき動かすなにごとかとは何かを語る。〈自分があるかないか〉この平凡な言い方から引き出せるのは言葉だ。〈なにか言うためには、言葉が必要だ。〉

片桐ユズル、アーサー・ビナード「詩が思想であったとき」
ディランの詩の歴史に興味ある人は多いと思うけれど一つの分水嶺が1980年12月8日(ジョン・レノンが殺された日)とは知らなかった。(片桐ユズルが詩を書くときは「詩と思われないように、詩を逃げて書く」話から)ディランが逃げて書き始めたのはその時からだとアーサー・ビナード。処刑される一歩手前で予言を止める。



峯澤典子「始源へのまなざしを宿した言葉とともに」
須賀敦子『主よ 一羽の鳩のために』を評して
〈一人でいるときに真に受け取れるもの。それは沈黙ではないだろうか。沈黙という祈りの時間は、詩を生み出す豊かな土壌なのだと、本書は凛とした佇まいで示している。〉と。私はその凛たる詩心を須賀の手書きの字にも感じるが、ともあれ、〈六十年前に書かれた諸篇は今読んでも、というより騒音の溢れるこの時代に読むからこそ新鮮に、清冽に響く〉にはまったく同意する。