Big Daddy 'O', Deranged Covers (Rabadash, 2004)

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 米国のシンガー、ギタリスト、ビッグ・ダディー・オー (Owen Tufts) の2004年のアルバム。

 こんな自由な音楽は久しぶりに聞いた。Flying Machine 時代のジェイムズ・テイラーを想いだす。フォークとブルーズの楽しさの原点に還った歌の数々。

 特に、トラック8のジョージ・リリーとの掛合いやトラック16のジョン・グロの B3 のからみはゾクゾクする。

 シンガー・ソングライターという「種族」への興味がぶりかえす。

 アイルランドの伝統歌にもその種の人たちがつくったと思われる歌はある。たとえば、有名な 'Eanach Cuain' はラフトゥリー作の歌といわれる。

 ところで、現代においてシンガー・ソングライターの本場といえば北米だろう。(現代においてと断るわけは、たとえば「12世紀において」とすれば、トゥルバドゥールを擁するプロヴァンスになるという具合になるからである。) ギターを手にして自作の歌をうたうというスタイルはきわめてインパクトが強く伝染力があるのはイングランドアイルランドを見ても分かる。このスタイルはフォークやブルーズの原点ともいえる。バートやジョンやデイヴィはみな大西洋のかなたを向いたところからスタートした。(その証拠を1枚だけ挙げると、Bert Jansch が Brownie McGhee と演奏した曲が収められている Acoustic Routes [Demon, 1993]。)

 ビッグ・ダディー・オーは自作曲はこの時点で確かまだ一曲しか発表しておらず、シンガー・ソングライターとはいいにくいが、ともかくいい歌をとりあげて自分のギターに載せてうたう。ただそれだけといえばそれだけだが、この味が何かを感じさせる。

OwenTufts

[Owen Tufts]

 声がまずいい。ボズ・スキャグズを苦みばしらせ、ときにジャクスン・ブラウンのような母音のひびきをまじえ、これにあったかみを加えたような太い太い声だ。ギターもいい。リズムのセンスや歌との兼合いが非常に気持ちいい。ほかのミュージシャンが加わるときには完全にルイジアナのサウンドになる。そのサウンドにおける一見乱雑なからみあい、あるいは遊びはニューオーリンズ音楽の伝統を感じさせるが、ユニゾン一辺倒のアイルランド音楽と比べるとひどく自由に聞こえ、アイルランド音楽が逆にストイックに感じられてくるほどである。もちろん、それはアイルランド音楽が本質的にソロの音楽だからだ。しかし、ストイックかと言うとそれよりむしろ、自分個人より芸のほうが大きいという位置感覚というかスケール観が根底にあるが故のことである。この芸の伝統が巨大すぎるのだ。(ルイジアナの伝統が小さいなどと言うつもりは微塵もない。ただ、音楽家の伝統観に差があるだろうと示唆しているに過ぎない。この差はひょっとすると、米愛の歴史の違いや言語における発想法の違いに帰着するかもしれない。)

 北米には、女性でテリ・ヘンドリクスとか、ジョー・セラピアといったずば抜けた歌い手がいる。男性ではこのタフツが飛びぬけているように思う。こういう人たちの特徴は、一色にそまらないことで、音楽的アプローチが非常に自由で柔軟性があることである。自分がどういう音楽をやっているかがはっきり分かってやっているので、クリエイティヴィティがさえぎるものなく発揮されている感じなのだ。自由自在だ。

 ひるがえってアイルランドを考えると、ジミー・マッカーシーの名前を挙げたところで止まってしまう。これを伝統音楽の呪縛と考えてはまずければ、いったいなぜなのだろう。

 逆に言えば、タフツの場合、伝統にどっぷり浸っていながら、そこから限りなく自由に歌そのものを楽しんでいるのだ。まことに気分がいい。ぼくは appleJam から入手した。

 

参加アーティスト――

  • Big Daddy 'O' (vo, g)
  • John Gros (org) 

Big Daddy 'O' - 
 Oreo Cookie Blues (w/ Keenan Knight [g] and Terryb [hca])