ある方が学歴に関する記事を書かれていて、そこから自分の学問研究の方法について思いをめぐらしました。

 現在の自分につながる学問的な内容は先達に教わった部分と独学で得た部分と。

 すべては時を得ないと実現/発現しません。ある意味で運とも言えます。例えば、あることを研究したいと大学院へ行ったとしても目当ての教授がその年に退官したり移籍したりすることが普通にあります。そうなると独学にならざるを得ない。

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 自分の場合はそのようでした。音楽家をやりつつアメリカ現代文学を読んでいましたが、英詩を研究しようとして進学したところ、大家の教授が退官。

 そこで自分で自分の専門分野を立て、それに従って自分用のカリキュラムを作成し、研究しました。その分野は当時も今も日本の大学には専門分野としては存在しないはずです(Romanic Studies)。

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 その後、別の分野にも関心を抱き、アイルランドの大学の外国人むけ講座で勉強した時に、不世出の天才的歌手・学者に出会い、勉強を続けたけれど、その分野も、当時も今も日本の大学には専門分野としてはないはずです(an Léann Ceilteach)。

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 という具合に、分野によっては勉強の機会やコースがないことはよくあり、その場合は、何らかの方法で独学するしかなくなります。

 その場合でも先達は重要です。聞かまほしきは先達の声。

 最終的に到達するゴールは同じでも、そこまでに要する時間が違います。試行錯誤で道を探るのと、学問的に理にかなった道を示唆されるのとでは。

 後者が時間の短縮になるのはその人がそれだけ苦労した結果です。

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 インターネット上にあふれる(かに見える)情報とソーシャル・メディアの時代に、以上のことは関係ないように映る可能性もあります。しかし、知る限りでは上記の2分野に関して、ネット上にはほとんど信頼すべき情報やデータがありません。

 かりに生データそのものは転がっていることがあったとしても、その位置づけや意義について適切に判断できなければ、埋もれた宝も同然です。

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 そこで、現代に必要な研究スキルとは、おそらく、信頼できる人を見つけること、または信頼できる人がいそうな場所を見つけることだろうと思います。

 そういう人や場所が見つかれば、ネットを介してであれ、リアルに会うのであれ、ともかくつながりを作ることが重要です。または、古典的な方法ですが、本を読んで過去の著者と本の中で対話をすることも考えられます。

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 ここで言いたかったことは、研究の分野によっては、自分で研究方法を見つけなければならないこともあること、その場合、信頼できる手がかりを見つけたらそこから深めてゆくことです。

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 学歴の話に関して思いついたことをひとつ。いま英詩を読んでいます。素晴らしい詩人です。ノーベル文学賞をとっている詩人です。でも、日本流にいうと中卒の学歴です。

 ロシア人の彼は自分で英語とポーランド語を学び、アメリカの桂冠詩人(米国議会図書館の詩の顧問)になり、アメリカの大学で教えました。本当にすごい詩人なのですが、学歴はまったく関係ないように見えます。