現代は詩人がロッカーとして(も)現れる。

 ブルース・スプリングスティーン論 'The Greatest Catholic Poet of Our Time' (Jim Cullen) を読んだ。ポスト・ディランとしてのスプリングスティーンを論じる人は多くても、このような角度で論じるのはめずらしい。

 スプリングスティーンの詩に現れる「わたし」は日本語にするときに「おれ」とする誘惑をおさえるのがむずかしい。私も俺と自称したくなるほどに。彼の声や歌の感じが「おれ」感を濃厚にただよわせる。

 しかし日本語への翻訳のことは、とりあえず今は些末な問題だ。カレンのスプリングスティーン論「現代最高のカトリック詩人」は題が大げさと感じられる。ほとんどの人はバカな、の一語で切捨てるだろう。アメリカ人でさえも。

カレンの議論を要約すると、スプリングスティーンは子供の頃から自分の存在意義を神に尋ねつづけた男ということになろうか。彼にとってのテーマは現代の隅々まで浸透した悪と戦うことだ。つまり、一言でいってロックによる宣教師

両親はロケンロールに反対した。父親は彼に弁護士になれと、母親は作家になれと言った。だが彼はモーセの十戒にはつづきがあると神から聞かされた。第11戒は

let it rock! 

だった。「ロックせよ!」かれはこれを信じた。

 カレンの議論をただ読むだけでは人は納得しないだろう。何らかの理解ができるとすれば、ブルース・スプリングスティーンの歌を実際に聴き、その詩をじっくり考えたときだけだ。

 1982年のアルバム 'Nebraska' に収められた歌 'My Father’s House' は彼の人生を要約するようにも感じられる。歌の最後で彼はこう唄う。

My father’s house shines hard and bright
It stands like a beacon, calling me in the night
Calling and calling, so cold and alone
Shining ’cross this dark highway where our sins lie unatoned



 ぼくはこういう詩も取上げて論じてみたいと考えている。もしも英詩のマガジンが購読者を集めることができればだが。英詩の議論はたった4行くらいでもまともに論じれば長大なものになることもあるけれど、英詩の議論はお手軽な知識のようにポンとは出せないからだ。議論そのものは(前提知識があれば)だれにも理解が可能だけれども、議論の材料をならべるのに時間がかかる。

BruceSpringsteen2012

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