俳人櫂未知子の用語。季語は今であるべしという理論をこう名づけた。

「NHK俳句」(2016年3月20日)で出た。ゲストのイッセー尾形の「俳句の奥行きの秘密」についての質問に応えた。五七五なのに時空に無限の広がりがある秘密はと。

櫂は例句を挙げて応える。(春の季語「たんぽぽ」を用いた句

たんぽぽや長江濁るとこしなへ
山口青邨

たんぽぽは目の前にある。しかし長江(揚子江)は今までも、そしてこれからも、ずっと濁っているであろう、の意。

たんぽぽという季語は今である。これにより逆に時間の長さを感じさせることができる。今の一瞬と長い時間とのコントラストの効果。

季語は基本的に今のものでないといけない。

ふりかえってはいけない。元彼はふりかえらない。

季語はつねに今の彼だと思いなさい。

別れた彼のことは思いわずらうな。これから出会うかもしれない未来の恋人のことも考えるな。今いっしょにつきあっている人だけを大事にしなさい。

それが季語の精神。「今彼理論」という。えーと、恋人の話じゃありませんよ。

散ってしまったらその桜のことはもう思わない。葉桜になったらもう葉桜とつき合う。去年のことは思わない。

一年中、その時の季語を詠むようにする。いい意味の「刹那主義」。

これはあるいは櫂の『季語の底力』(日本放送出版協会、2003)という本に書かれているのかもしれない。読む機会があったら、確かめてみよう。

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感想。たんぽぽは春の季語か、という漠然とした意識しかなかった。けれど、これを前景において、後景に長江を置くと、その対比たるや、目が回るほどすごい。なんか一眼レフで撮ったボケに永遠を視る、みたいな世界だな。おもしろい。そう思ってたんぽぽを河をバックに撮りにいきたくなる。あ、一眼レフ、いまないんだ。いつか買おう。なにがいいかな。

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