20 May
Sister Stan

No one lives by chance. Everyone, everything has a purpose, a part to play in the grand design that is creation

 この箇所を読んではっとする。すべてのものに目的があり、創造という大きな企図の中ではたすべき役割がある。もちろん、カトリック修道女の立場から書かれているから、この design は神の計画だけど、「目的」とも解せる。

 これはアドラー心理学における目的を想起させる。アドラー心理学の本質は「ギリシア哲学と同一線上にある思想であり、哲学である」目的論。

 こんなところで両者が通じるとは。ぼくには発見だ。もう少し考えてみよう。

 キリスト教の神学に創造を扱う分野「創造論」がある。その分野は一見すると「原因」に目を奪われがちだ。creatio ex nihilo 「無からの創造」に焦点を当てれば。それじたい、トマス・アクィナスの『神学大全』を読むときに、読者の関心の大きな部分を占めるだろう。

 しかし、上記のようなシスター・スタンの言葉を読むと、「原因」に目を向けるよりも、むしろ「目的」に思いをはせるべきではないかと思える。〈何のために〉神は創造したのか。時間を。空間を。世を。宇宙を。海を。山を。地球を。月を。動物を。植物を。それらに目的があるのだとすれば。

 一方、アドラー心理学は世の心理学的アプローチがとる「原因論」とは全く逆で、「目的論」の立場にたつ。何かの行動をみるときに、その原因でなく目的に目をこらす。


Purpose